毎年、この季節は、直系先祖の誕生日や命日が集中しているので、当家の歴史に関する記事を書いています。今年は、遠野諸士と札幌農學校の関わりについて、曾祖父・唯是丙助を例に取り上げてみようと思います。
まず、時代背景から説明しましょう。
明治維新により、盛岡藩の支藩であった遠野南部家は遠野の領主の地位から離れ、一門や家臣も武士としての生活を捨て、商工業や農業に転身することになります。藩士の子弟は新たな世界を求めて、藩外の教育機関への入学を目指します。その一つが、札幌農學校でした。
札幌農學校はご承知のとおり、現在の北海道大学の前身となった高等教育機関です。その始まりは、1872(明治5)年4月、東京・芝の増上寺に設置された開拓使仮学校です。北海道開拓の人材育成を目指し、いずれは札幌に移して規模も大きくする計画であったことから、当初は仮学校として発足しています。
1875(明治8)年5月、仮学校は札幌に移転し、7月に札幌学校と称します。
1876(明治9)年8月、札幌学校は札幌農學校に改称し、開校式を行います。「青年よ、大志を抱け!(Boys, Be ambitious!)」で有名な、マサチューセッツ農科大学のウィリアム・クラーク博士が教頭に招かれ、第1期生24人が入校します。学制に基づく学士の授与権限がある教育機関としてはもっとも古く、東京大学より1年先んじています。

1880(明治13)年卒業の第1期生からは、佐藤昌介(北海道帝国大学初代総長)や渡瀬寅次郎(東京興農園創業者)らを輩出しています。第2期生からは、内村鑑三(宗教家)、廣井勇(土木工学者)、新渡戸稲造(教育者)、藤田九三郎(藤田農場創業者)、町村金彌(町村農場創業者)、宮部金吾(植物学者)らが出ています。また、初期の卒業生は「札幌バンド」と呼ばれ、北海道開拓のみならず、その後の日本の発展に大きな影響を与えました。
1885(明治18)年、札幌農學校に予備科が設置されます。1887(明治20)年、この予備科を第1期生として卒業したのが、私の曾祖父である唯是丙助でした。
唯是震一の著書『私の半生記』(砂子屋書房、1983年)には、「祖父唯是丙助は・・・弘前の東奥義塾を卒えて、札幌農学校(現北大)に学び、彼の名句『少年よ 大志を抱け』を残したアメリカ人、クラーク博士の教え子の一人であった。」との記述がありますが、これは間違いです。丙助は本科第1期生ではなく、予備科第1期生です。
次回は、小藩の士族であった丙助がなぜ札幌農學校入学を目指したのか、その幼年時代にスポットを当ててみたいと思います。


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