昨日、ニトリホールディングスが提唱していたオタモイ海岸(北海道小樽市)の開発事業が凍結された、との報道がありました。
昭和初期に人気集めた『オタモイ遊園地』の再開発計画が“凍結”
オタモイ海岸は戦前から戦後の一時期、遊園地や海水浴場を含む一大景勝地として賑わった歴史があります。じつはこの盛衰に、祖父・唯是日出彦が関わっていました。
戦前、日出彦は小樽新聞社企画部次長として、また帝國軍用犬協会(KV)評議員として多方面で活動していました。日出彦は、小樽市内で料亭「蛇の目」を経営していた加藤秋太郎と交流があり、オタモイ海岸の開発事業にアイディアを提供しました。また、当時の新聞社の企画部は、現在でいうイヴェント事業者のようなこともやっていて、オタモイ遊園地の企画・宣伝にも深く関わっていました。
1931(昭和6)年、遊園地の建設が始まります。1934(昭和9)年には、中核となる食堂が完成します。同施設の名称は、日出彦の発案により小樽新聞紙上で公募となり、当初の「弁天」から「龍宮閣」へ改称されます。
この時期、日出彦はKV副会長だった坂本健吉陸軍少将(予備役。元・陸軍省軍務局馬政課長)を小樽に招き、オタモイ遊園地を案内しています。
日出彦はその折のスケッチを、1940(昭和15)年の坂本少将の逝去に際し、KVの機関誌『軍用犬』第9巻第10号の「坂本閣下の漫像に添えて」という記事に用い、追悼しています。そこには、「小樽名勝オタモイに遊ぶ坂本閣下の印象」というキャプションが付され、龍宮閣も書き込まれています。

・・・オタモイと云ふ小樽郊外の風光明媚なところへ御案内したことがあって、その際、閣下は大層この勝景を愛された。雄大なオタモイの岸頭に立ち、日本海から吹き上げる風にあの美髯を嬲らせながら喜ばれた閣下の風貌。・・・
『軍用犬』第9巻第10号(帝國軍用犬協會、1940年)

龍宮閣は戦中の休業や紆余曲折を経て、1952(昭和27)年、火事により焼失します。結果、オタモイ遊園地全体が急速に廃れ、閉園の憂き目に遭ってしまいます。
その後(1956年か1957年ころと思われる)、北海道中央バスの顧問としてバスガイドの教育を担当していた日出彦は、過去に手がけたオタモイ遊園地の再開発計画を同社の観光事業の目玉として企図し、松川嘉太郎社長(当時)らと談義を重ねますが、これは採算上の問題から実現しませんでした。この時期、中央バスは東急グループによる乗っ取りの危機にあり、観光事業に投資する余裕などありませんでした。
廃墟となったオタモイ遊園地跡地は一時期、遊歩道が整備され自由に散策できましたが、2006(平成18)年に大規模な崩落が発生したことで、現在では立ち入り禁止になっています。
夢よ、再び!

