北大百年史予備科生徒卒業後の専修学科届出の件(『北大百年史 札幌農学校資料2』)

1885(明治18)年11月、唯是丙助は東奥義塾から札幌農學校予備科第1級に編入します。1887(明治20)年7月に同科を卒業し、新設の工学科に進みます(↑キャッチアップ参照)。

『札幌農學校一覧 明治36-39年分』(札幌農學校、1906年)

工学科設置の経緯について、『北大百年史 通説』(北海道大学、1982年)は次のように述べています。

金子堅太郎(太政官大書記官)が「北海道三県巡視復命書」において札幌農學校を批判し、その存立が危ぶまれるなか、米国留学から帰国した第1期生の佐藤昌介が、組織改正により問題の解決を図ろうと試みます。その建言が受け入れられ、幅広い人材の育成を目的として工学科が設置されます。

丙助は首席で工学科へ進みます。同期入学は、丙助、岡崎文吉、小野常治、平野多喜松、宮崎繁太郎の計5名です。このうち、岡崎と平野は他校から入学してきました。予備科から進んだ者は、丙助、小野、宮崎の3名です。

『札幌農學校一覧 明治20-22年分』(札幌農學校、1889年)

1889(明治22)年7月、第2期生の廣井勇がドイツ留学から戻って助教となり、工学科のカリキュラムが充実していきます。

丙助の在学中、札幌農學校で教鞭を取ったのは、佐藤昌介、廣井勇、宮部金吾、新渡戸稲造らです。校長は、佐藤昌介(代理、心得)や橋口文蔵が務めた時代です。

By 唯是 一寿

唯是家第8代。1972年、北海道生まれ。早大卒。団体役員、会社役員、国家公務員(法務省、非常勤)。東京都港区在住。“風街”で合理性と最適化を追求する、ミニマルな人生。本ブログでは、公共・公益活動、先祖探求・家系調査、短歌について発信。

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