「さっぽろ雪まつり」が開催中です。今季の北海道は雪害で尋常ならざる苦労の連続のようですが、期間中、天気が安定し、無事に開催できることを願います。
さて、北海道における「雪まつり」の始まりについて、当家の視点から少し書いてみたいと思います。札幌雪まつりの始まりについて、さっぽろ文庫47『雪まつり』は次のように記しています。
さてもう一度ここで、石田発言に戻らなければいけない。「小樽の手宮の雪像」というくだりである。これを正確に言えば、小樽市北手宮尋常小学校の「雪まつり」ということになる。・・・同行二代目校長の故高山喜市郎氏の指導で第一回の雪まつりが開かれたのは、昭和十年二月二十四日だった。当時の記録映画を見ると、生徒や父兄が雪を積み上げ、見事な大雪像を作っている。最後は雪像の上で全員の万歳だ。そして間違いなく「雪まつり」という言葉が使われている。
このように考証を進めてくると、北手宮尋常小学校の雪まつりが、札幌雪まつりの原形であることは自明のようだが、・・・札幌市教育委員会編『雪まつり』(北海道新聞社、1988年)
1935(昭和10)年2月に小樽の北手宮尋常小学校で行われた学校行事が、北海道における「雪まつり」の元祖であるとなっています。この企画の発案者が祖父・唯是日出彦であったことは、ほとんど知られていません。
北手宮尋常小学校における学校行事の翌1936(昭和11)年、小樽新聞社主催の「小樽雪まつり」が開催されました。この企画者が、当時、同社企画部次長だった日出彦でした。
昭和十一年二月、当時新聞社の企画部次長の職にあった。日出彦氏は「小樽雪まつり」を企画した。それは雪上カーニバルともいうべきもので、海上は公園グランド、雪像をつくり、大ステージをつくり、仮装行列もやった。この時テーマソングとして「スキーソング」を作詞し発表した。作曲はBBハワイアンズの主催者、今は亡き木村浄さんが作曲したのを手なおし好評だった。
俺のスキーはウイスキー
街の酒場をスラローム
旗門、旗門にひっかかり
ついに会社をダウンヒル
♢
雪の女王とおだてられ
無理して買ったヒッコリー
一度もはかずに盗まれた
油断もスキーもありゃしない
今でも小樽のスキー愛好者たちが歌っているが、作詞、作曲者が唯是日出彦であることを知っていないようだ。
昭和三十九年小林旭の新譜として「スキー小唄」が発表された。それには作者不詳とあったが、一番から三番までの歌詞はそっくり、曲は少し変えられていたが、小樽のスキー選手が国体出場のとき歌ったものが伝わり伝わって新譜となったものであろう。しかし日出彦氏は、くやしがる回りの人たちをよそに、“無頓着先生”であった。『月刊さっぽろ』140号(財界さっぽろ、1971年)
北手宮小学校の雪まつりが1935(昭和10)年、そして小樽新聞社の小樽雪まつりが翌1936(昭和11)年であることから、プロトタイプとして企画を練ったのが日出彦であった蓋然性が考えられます。前掲『雪まつり』の記述「当時の記録映画を見ると」というくだりがヒントになります。この記録映画を撮っていたのは、日出彦はじめ小樽新聞社です。あるいは、学校行事の大成功を参考に、拡大を狙って社の企画としたのかもしれません。
ネタ元を明かさないのが、新聞人としての信念や矜持だったのでしょう。当家には話が遺っているものの、日出彦が「雪まつり」の元祖の一人であることは世に明らかになっていません。
1話にまとめようと思っていましたが、話が長くなってきたので、次回に続きます。


[…] 【HISTORY】唯是日出彦の「スキー小唄」 その1 […]