昨日の記事の続きです。
日出彦は1936(昭和11)年2月、「小樽雪まつり」開催に際し、テーマソング「スキーソング」を作りました。これが、のちに小林旭の歌唱でレコード化された「スキー小唄」(クラウン、1964年)の原曲です。
昭和十一年二月、当時新聞社の企画部次長の職にあった。日出彦氏は「小樽雪まつり」を企画した。それは雪上カーニバルともいうべきもので、海上は公園グランド、雪像をつくり、大ステージをつくり、仮装行列もやった。この時テーマソングとして「スキーソング」を作詞し発表した。作曲はBBハワイアンズの主催者、今は亡き木村浄さんが作曲したのを手なおし好評だった。
俺のスキーはウイスキー
街の酒場をスラローム
旗門、旗門にひっかかり
ついに会社をダウンヒル
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雪の女王とおだてられ
無理して買ったヒッコリー
一度もはかずに盗まれた
油断もスキーもありゃしない
今でも小樽のスキー愛好者たちが歌っているが、作詞、作曲者が唯是日出彦であることを知っていないようだ。
昭和三十九年小林旭の新譜として「スキー小唄」が発表された。それには作者不詳とあったが、一番から三番までの歌詞はそっくり、曲は少し変えられていたが、小樽のスキー選手が国体出場のとき歌ったものが伝わり伝わって新譜となったものであろう。しかし日出彦氏は、くやしがる回りの人たちをよそに、“無頓着先生”であった。『月刊さっぽろ』140号(財界さっぽろ、1971年)
北海タイムス昭和39年12月12日号夕刊は伝えます。
唯是さんは、昭和十一年、小樽市にあった小樽新聞本社で企画部次長をしていたとき、当時、本道では初めての『雪まつり』を企画、大雪像やカーニバル、仮装行列などをにぎやかに催した。
このとき、雪まつりテーマソングの一つとして、『スキーソング』を作詞、初めて市民に発表した。
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唯是さんは現在、中央バス運輸課に勤め、観光ガイドの指導や案内文作りに当たっており、これまでにも『スキーソング』はかなりのガイド嬢たちに伝授され、ウグイス嬢たちからは得意歌の一つにされていた。北海タイムス昭和39年12月12日号夕刊(1964年)

北海道における「雪まつり」の発案者が日出彦であること、「スキー小唄」の原作者が日出彦であること、を報じています。
「スキー小唄」の登録ですが、日本音楽著作権協会(JASRAC)では作者不詳となっています。小林旭のレコードが発売された当時、当家とJASRACでやり取りがあったそうです。“無頓着先生”であった日出彦は権利にこだわることなく、曖昧のうちに話は終わったようです。「自分の手を離れたものは、すでに過去のこと」という、いかにも芸術家らしい日出彦の一面が垣間見えるようです。
1950(昭和25)年に始まったさっぽろ雪まつりの直接の企画者ではありませんが、その原型となったのが小樽の学校行事や小樽新聞社(現・北海道新聞)のイヴェントであったことを考えると、日出彦が北海道における“「雪まつり」の元祖”と言っても差し支えないでしょう。

