聖徳太子聖徳太子と遺言
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(2023年10月12日加筆修正)

小中学校時代、出席番号は最後から2番目か3番目。山本さんの次で、吉田さんの前。初対面の方に名を名乗ると、まず怪訝そうな顔をされ、何度も何度も名字を聞き直される。まだ航空会社のマイレージプログラムがなかった頃など、航空券を電話で予約すると、カウンターで受け取る券面の表記は間違っていることがほとんど。そんな人生を送ってまいりました。政官界、邦楽界等の特殊なフィールドを除けば、多くの方は「ゆいぜ」という音に馴染みがないからでしょう。最近、知人から家の歴史を書き残すことを勧められましたので、先週が誕生日でゾロ目の歳になったこの機会に、簡単に当家のルーツについてご紹介したいと思います。

まず、唯是という名字の人はすべて一族か関係者です。現行世代ではその縁も薄くなっていますし、本家筋の男系(私を含む)も絶えそうになっています。主に岩手県、東京都、北海道に分布しており、中華系や朝鮮系には存在しない名字です。公式に判明している起源は岩手県遠野市にあります。遠野は柳田國男の『遠野物語』で有名な伝承の地です。

さて、名字の唯是ですが、1788(天明8)年、遠野南部家第29代当主八戸 怡とき 顔つら より黒印状にて賜ったものです。この時代、天明の大飢饉といわれる飢饉が東北地方に広がっていた頃で、盛岡藩も例外ではなく、本来の3割程度しか収穫できない状態が続いていました。遠野唯是家の始祖となる小原仁左衛門(200石。私の7代前)は私財を投げ打ち、領民を救い、藩政改革に貢献しました。その恩賞として小原からの改名を許され(どうも改名を願い出ていたらしい)、唯是を名乗り始めました。賜った黒印状は現存していますので、史的資料の裏づけがある当家公式の歴史です。ちなみに、私の高祖母は福田氏(永代家老格)と澤里氏(御三家衆)の家系であり、女系を辿れば、根城南部氏第5代当主南部政長、あるいは第11代南部長安に行き着きます。

黒印状

黒印状

次に、当家に伝わる伝承によりますと、その起源はもっと古く、聖徳太子(厩戸皇子)にまでさかのぼるという説があります。太子の有名な遺言「世間虚仮 真」に由来するというものです。歴史によれば、太子の子孫は蘇我氏の襲撃により絶えたことになっていますが、一部が東国に逃げ延び、太子の遺志を後世に語り継ぐため、名字の形にして保存した、と伝えられています。それを後代になって、藩主に黒印状で改めて認めてもらい、名字として公式に名乗り始めたということです。

唯仏是真

聖徳太子と遺言

さらに、家紋から類推する説も伝わっています。当家の家紋は「丸に四つ石」ですが、「吾唯知足」との関連を伝えるものです。吾唯知足は龍安寺(京都市右京区)にある、水戸光圀が寄進した「知足の  蹲踞 ( つくばい ) 」で有名ですが、これは「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」という禅の格言を謎解き風に図案化したものです。水溜めに穿った中心の正方形を漢字部首の「口」と見れば「ることをる」となり、見事に丸に四つ石に対応しています。

家紋

丸に四つ石

知足の蹲踞

知足の蹲居

丸に四つ石は石畳紋の一つで、神職に由来する紋ですが、古くは『吾妻鏡』に出てくる清和源氏系和賀氏の家紋であり、和賀氏は江戸時代初期に小原姓に改姓し、陸奥国に土着しています。ゆえに、和賀→小原→唯是という系譜になります。和賀氏または小原氏と聖徳太子のつながりが発見されれば、前述の聖徳太子由来説は現実味を帯びてくるのでしょう。

伝承および家紋に由来する説は裏付けとなる史的資料が少なく、今となっては検証不能なのが残念です。いずれにせよ、聖徳太子由来説と家紋説のどちらであっても、何かしら神事がかった、やんごとなきルーツであることは想像できます。民俗的に特異な伝承の地、遠野所縁であることも無関係ではないようです。

最後に、近代の当家(札幌唯是家)の歴史について簡単に振り返っておきます。私の曽祖父は遠野南部家一門の出で、弘前の東奥義塾を卒業後、北海道に渡ります。札幌郡札幌村(現・札幌市東区)の副戸長(郡長代理、住民総代)を務めた稲葉元助の娘と結婚し、札幌市北十二条西1丁目(現・札幌市北区)で没しました。祖父は室蘭で生まれ、札幌で育ち、小樽新聞(現・北海道新聞)の記者となり、小樽に移住します。父は小樽で生まれ、東京で大学時代を過ごし、小樽で生涯を終えました。私は小樽で生まれ、東京で人生の大部分を送っています。現在、実家は近代の起源である札幌に所在しています。

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唯是 一寿

唯是家第8代。1972年、北海道生まれ。早大卒。団体役員、会社役員。東京都港区在住
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By 唯是 一寿

唯是家第8代。1972年、北海道生まれ。早大卒。団体役員、会社役員。東京都港区在住

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4 thoughts on “【HISTORY】「唯是」について

  1. ご連絡いただきありがとうございます。我が小原家のルーツは、武蔵国の武士団「私市党」です。遠祖は物部氏です。物部氏→日下部氏→私市氏→小原氏と姓を変えてきました。唯是さんのお家の家紋が「石畳紋」のことから、唯是家は和賀氏一族となった小原氏宗家(安俵氏)の末裔の可能性が高いです。そして、「唯是」という名字は「ただよし」とも読めます。従って、唯是家は安俵氏(小原氏宗家)の本家筋と思われる「小原(安俵)忠義(ただよし)」の末裔ではないかと思われます。安俵氏は南部家から追われていたため、安俵姓を捨て「小原姓」を名乗っています。その家祖である「忠義(ただよし)」の名を忘れないため、南部家に憚り「唯是(ただよし)」という字に改め、代々子孫に伝えていったのではないでしょうか。小原家は聖徳太子との繋がりは無いように思います。もしかしましたら、唯是さんのご先祖様が熱心な仏教信者だったのかも知れません。もし、よろしければ、PCメールアドレスにご連絡ください。

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