8回にわたり、曾祖父・唯是丙助を軸に遠野諸士と札幌農學校の関わりについて取り上げました。今回が最終回です。
本シリーズで取り上げた内容を、改めて年表にまとめました。
| 西暦 | 元号 | 社会の出来事 | 唯是丙助 | 水越浩太郎 |
| 1866 | 慶応2 | 誕生 | ||
| 1867 | 3 | 大政奉還 | 誕生 | |
| 1868 | 明治元 | 戊辰戦争 | ||
| 1869 | 2 | 東京奠都 | ||
| 1871 | 4 | 廃藩置県 | 父・隆治逝去 | |
| 1872 | 5 | 壬申戸籍施行 学制公布 | ||
| 1875 | 8 | 横田村から札幌本府へ移住 雨龍学校入学 | ||
| 1876 | 9 | 廃刀令 秩禄処分 札幌農學校開校 | (この頃、 父・直志逝去か) | (この頃、 母・スヱが北盛館開業か) |
| 1881 | 14 | 東奥義塾入学 | ||
| 1882 | 15 | 東奥義塾入学 | ||
| 1884 | 17 | 札幌農學校予備科入学 | ||
| 1885 | 18 | 内閣制度発足 | 札幌農學校予備科入学 | 北海道庁林業調査官 |
| 1887 | 20 | 同工学科入学 | 宮内省御料局官吏 | |
| 1889 | 22 | 大日本帝国憲法発布 | 母・クマ逝去 | 札幌農學校依願退校 |
| 1890 | 23 | 第1回衆議院議員選挙 | 綾織村から札幌村へ転籍 | |
| 1891 | 24 | 札幌農學校依願退校 北海英語学校教員 | ||
| 1893 | 26 | 稲葉スヱと結婚 | ||
| 1894 | 27 | 日清戦争開戦 | 長男・一三誕生 | |
| 1897 | 30 | 南部行義受爵 | 受爵栄典で羽織拝領 | |
| 1901 | 34 | 次男・健彦誕生 | ||
| 1904 | 37 | 日露戦争開戦 | ||
| 1905 | 38 | 三男・日出彦誕生 | ||
| 1910 | 43 | 大逆事件 朝鮮併合 | (この頃、 深川測量舎設立) | |
| 1914 | 大正3 | 妻・スヱ逝去 | ||
| 1928 | 昭和3 | 札幌に定住 | ||
| 1935 | 10 | 逝去 | ||
| 西暦 | 元号 | 社会の出来事 | 唯是丙助 | 水越浩太郎 |
遠野諸士と札幌農學校の縁は私の代までつながっています。まず、札幌農學校第2期生の末裔との親交があります。


町村金彌と藤田九三郎は第2期生です。金彌は雨龍華族組合農場や十勝開墾合資会社を経営しました。九三郎は茨戸を開拓し、藤田農場を開設しました。故・町村信孝さん(第75代衆議院議長)は金彌の孫、藤田真さん(物流コンサルタント)は九三郎の曾孫です。
また、南部家とのご縁もつながっています。

近年、遠野南部家一門について再び調べるようになったのは、南部光隆さんに影響されてのことです。光隆さんは南部子爵家の当代として、八戸藩の歴史継承に尽力しておられます。南部子爵家の蔵書から、高祖父・直志に関する資料を送ってくださったこともありました。
私が東京都港区で、2つの「南部坂」のちょうど真ん中に位置する場所に住んでいるのも、不思議な縁と言えましょう。
遠野から札幌を経て東京まで、連綿とつながるご縁に感謝し、引き続き先祖探求や家系調査を深めていきたいと思っています。お読みいただき、ありがとうございました。
本シリーズの執筆にあたり資料提供でご協力くださった、北海道大学大学文書館の山本美穂子研究員、水土里ネット深川施設部の関口秀幸部長に感謝申し上げます。
高祖母・唯是クマ生誕200年の年に本シリーズを捧ぐ。

