前回は、幕末、元助が増毛を開拓し、その功績により、中心市街地の町名にその名を留めるまでになったことを紹介しました。
1873(明治6)年、元助は石狩国札幌郡札幌村(現・札幌市東区)に入植します。
ここで、札幌村の成立について触れておきましょう。寛永年間、松前藩の商場が石狩地方に開かれます。安政時代、石狩地方は13の村落に分かれていました。1869(明治2)年、開拓使が設置され、蝦夷地を北海道と改称、11国86郡に区分されます。1871(明治4)年、石狩国内の村落であった札幌元村と札幌新村が合併し、札幌村が誕生します。札幌村は、石狩国札幌郡に属することとなります。

その札幌村で、元助は重責を担うことになります。札幌市が発行する史書に、次の記述があります。
明治八年、小熊副戸長の後をうけて、菊池徳三郎再び副戸長に就任。同年七月稲葉元助副戸長に任ぜられ、以来七年間その職に尽くした。
札幌村郷土記念館編『東区拓殖史 東区今昔3』(札幌市東区、1983年)
1871(明治4)年、石狩国内の村々に正副戸長制度が導入されましたが、1875(明治8)年に元助が札幌村の副戸長に任命されています。この時代の戸長は官選であり、開拓使の役人が務める名誉職なので、副戸長が事実上の村長に該当します。
前掲書の巻末には、札幌村の当時の地図(↑冒頭のアイキャッチ参照)が付録として付いています。南西に「稲葉与惣右衛門」の記載がありますが、与惣右衛門は元助の父であり、私の五世祖父です。元助が北海道に定住するに際し、秋田から一家を呼び寄せ、与惣右衛門が先に札幌村に入村していたようです。
開拓使の公文書では、「稲葉与惣左衛門」となっており、いずれ真偽を確かめようと思っています。
稲葉家が入植した土地は、現在では札幌市東区の光星地区といわれるエリアで、南北は北10条~北13条、東西は東8丁目~東12丁目あたりの広大な原野でした。この地を元助は開拓し、耕作や稲作に取り組みます。

稲葉邸の所在地は、札幌村八番地。現在では、札幌市東区北10条東11丁目で、大覚寺があるところです。
都市化が進んだ令和の現代、付近は、札幌都心部から北東に向かって走る道道273号花畔札幌線(当時の元村街道)がわずかに開拓の名残を感じさせる程度で、田園の面影など微塵もありません。地下を札幌市営地下鉄東豊線が東西に貫き、地上には東区役所、光星中高、大覚寺などが建っています。
その3へつづく


[…] その2へつづく […]
[…] 【HISTORY】稲葉元助と北海道開拓 その2 […]
[…] )年の話で、文中の「稲葉元助氏の所有地」は現在の札幌市東区北八条東8丁目だそうです。その2で稲葉家の所有地の範囲を「南北は北10条~北13条」と記しましたが、上島正の回想録が正 […]
[…] 【HISTORY】稲葉元助と北海道開拓 その2 […]
[…] 【HISTORY】稲葉元助と北海道開拓 その2 […]
[…] 【HISTORY】稲葉元助と北海道開拓 その2 【HISTORY】稲葉元助と北海道開拓 その3 […]
[…] 【HISTORY】稲葉元助と北海道開拓 その2 【HISTORY】稲葉元助と北海道開拓 その3 […]