増毛町稲葉町増毛町中心市街地「稲葉町」

当家にとって11月は、特別な月です。私を含め、主要な先祖のほとんどが、11月生まれなのです。例年、この11月は先祖に敬意を表する時期として、当家の歴史を書いています。今年は、高祖父・稲葉元助の生涯を数回に分けて取り上げます(元助は、本日11月2日が誕生日です)。

稲葉元助は、私の曾祖母である唯是スヱの父です。曾祖父・唯是丙助の岳父ということです。従伯父・唯是震一の著書には、次の記述があります。

唯是震一『私の半生記』(砂子屋書房、1983年)

文中の「大地主」が元助のことです。元助がどういう経緯で元村(現・札幌市東区)の大地主になったのか、その歴史を紐解いてみましょう。

元助は1834(天保5)年11月2日、羽後国早口村(現・大館市)に生まれます。稲葉家は先祖代々、名主を務める旧家で、名字帯刀を許されていました。

折敷に三の字
稲葉家の家紋「折敷に三の字」

元服後、久保田藩(秋田藩)の下士として召し出されます。時は風雲急を告げる幕末、ロシアの南下に備える北方警備のため、三人扶持で蝦夷地(現・北海道)のマシケ場所(現・増毛町)に赴きます。

1867(慶應3)年、藩が幕府から警備を解かれるに際し、蝦夷地開拓に夢を見出した元助は増毛に残ります。幕府の直轄領となった同地で永住人取締に任ぜられ、政務に従事する傍ら、市街地の開拓にも取り組みます。その功績により、増毛の中心市街地は「稲葉町」となり(↑冒頭のアイキャッチ参照)、現在に至ります。

清酒「國稀」で有名な國稀酒造の設立にも関わったと伝えられています。

1873(明治6)年、開拓使より増毛開拓の実績を認められ、札幌郡札幌村(現・札幌市東区)に入植します。

その2へつづく

By 唯是 一寿

唯是家第8代。1972年、北海道生まれ。早大卒。団体役員、会社役員、国家公務員(法務省、非常勤)。東京都港区在住。“風街”で合理性と最適化を追求する、ミニマルな人生。本ブログでは、公共・公益活動、先祖探求・家系調査、短歌について発信。

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