新嘗祭献穀者稲葉元助略伝『北海之殖産』第43号

高祖父・稲葉元助の生涯について、「稲葉元助と北海道開拓」シリーズを書いています。

1893(明治26)年、元助は59歳でした。この年11月の新嘗祭に、元助の作った粟が献上されます。これは、北海道初の快挙でした。『北海之殖産』第42号は、こう伝えます。

ちなみに、本年の新嘗祭は明後日です。

『北海之殖産』第四拾貳號(北海農会、1893年)

1873(明治6)年に札幌村へ入植し、わずか20年で献納品を生み出したところに、元助の血の滲むような努力の跡が窺えます。『北海之殖産』第43号には、元助の略伝が掲載されました。一部を抜粋します。

『北海之殖産』第四拾参號(北海農会、1894年)

農作物が皇室への献納品に選ばれることは、農業に携わる開拓民にとって最高の栄誉ですが、元助生来の私心なき純朴な人柄、公共への貢献度等が総合的に評価されての選定でもあったのでしょう。

そして、この時点での元助の所有地が24町(≒72,000坪≒240,000㎡)であったことも判明しました。400m×600m程度と想定すると、その2で取り上げた範囲にほぼ合致しますが、上島正の回想(その4)と照合するに、南北に長い土地だったのかもしれません。

稲葉家所有地
明治時代の稲葉家所有地

その6へつづく

By 唯是 一寿

唯是家第8代。1972年、北海道生まれ。早大卒。団体役員、会社役員、国家公務員(非常勤)。東京都港区在住。“風街”で合理性と最適化を追求する、ミニマルな人生。本ブログでは、公共・公益活動、先祖探求・家系調査、短歌について発信。

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