高祖父・稲葉元助の生涯について、「稲葉元助と北海道開拓」シリーズを書いています。
1893(明治26)年、元助は59歳でした。この年11月の新嘗祭に、元助の作った粟が献上されます。これは、北海道初の快挙でした。『北海之殖産』第42号は、こう伝えます。
ちなみに、本年の新嘗祭は明後日です。
従来新嘗祭には全國各府縣より新穀を献納するの例なれども北海道に於ては未だ之に與らざりしが本年より本道産の新穀をも同しく献納することなり本年は札幌郡月寒村字島松中山久蔵氏の米及び同郡札幌村稲葉元助氏の粟を献納するに決定し各其履歴書を調製し献納品と共に宮内省に進達せり
『北海之殖産』第四拾貳號(北海農会、1893年)
1873(明治6)年に札幌村へ入植し、わずか20年で献納品を生み出したところに、元助の血の滲むような努力の跡が窺えます。『北海之殖産』第43号には、元助の略伝が掲載されました。一部を抜粋します。
明治六年四月にして、爾後漸々請ふて區域を廣め、現時所有墾成地十九町餘歩、外に貸下町五町歩、又林檎其他の果樹六百餘株を植栽せり。元助人となり純朴にして公共の志に厚く、敢えて一己の利に趨らず、或は村吏となり或に委員、総代となり、能く力を教育、衛生に致し、又公共の為めに金圓を寄付して木杯の賞に與り、或は農産を博覧會及共進會に出品して賞與を受けたること、其數少なからず、蓋し近郷農家の模範として愧ぢさるの老農とす
『北海之殖産』第四拾参號(北海農会、1894年)
農作物が皇室への献納品に選ばれることは、農業に携わる開拓民にとって最高の栄誉ですが、元助生来の私心なき純朴な人柄、公共への貢献度等が総合的に評価されての選定でもあったのでしょう。
そして、この時点での元助の所有地が24町(≒72,000坪≒240,000㎡)であったことも判明しました。400m×600m程度と想定すると、その2で取り上げた範囲にほぼ合致しますが、上島正の回想(その4)と照合するに、南北に長い土地だったのかもしれません。

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[…] その5へつづく […]
[…] 戸籍によれば、1890(明治23)年時点での本籍地は「札幌郡札幌村八番地」となっています。その5で取り上げたほかに、『札幌村史』にも「五番地は稲葉又助(今の大覚寺の所)」という […]
[…] 【HISTORY】稲葉元助と北海道開拓 その5 […]