札幌村副戸長副戸長・総代・副総代の変遷(明治7年9月~12年10月)

高祖父・稲葉元助の生涯について、「稲葉元助と北海道開拓」シリーズを書いています。

前回の記事で、元助が札幌村の副戸長を長く務めたことについて触れました。当時の戸長制度について、もう少し掘り下げてみたいと思います。『新札幌市史』第2巻(通史2)では、次のように説明されています。

札幌市教育委員会編『新札幌市史』第2巻(通史2)、291ページ

戸籍制度の導入により、明治維新以前の村三役が廃止され、正副戸長が置かれるようになりました。札幌郡では、1872(明治5)年以降、順次、切り替わっていったようです。

同上、299~301ページ

元助が札幌村副戸長に任ぜられたのは、1874(明治7)年です(↑冒頭のアイキャッチ参照)。副戸長に加え、それを補佐する総代・副総代が置かれた時期もあります。

同上、307ページ

1878(明治11年)には、総代・副総代が廃止され、村の代表者は副戸長となります。

同上、307~308ページ

1880(明治13)年に始まった、新たな戸長制度において、元助はいずれかの時期に戸長に任ぜられた可能性があります。札幌市の公式の記録では、小熊善右衛門が札幌村戸長となっていますが、大蔵省が1885(明治18)年に編纂した『開拓使事業報告』第5編では、「札幌郡札幌村戸長稲葉元助」との記録があり、元助が戸長であるとされています。

開拓使事業報告
開拓使事業報告

このあたりの真偽は、また別の機会に調査したいと思います。

その4へつづく

By 唯是 一寿

唯是家第8代。1972年、北海道生まれ。早大卒。団体役員、会社役員、国家公務員(非常勤)。東京都港区在住。“風街”で合理性と最適化を追求する、ミニマルな人生。本ブログでは、公共・公益活動、先祖探求・家系調査、短歌について発信。

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