大友堀大友堀

生涯を増毛と札幌村の開拓に捧げた、高祖父・稲葉元助について、「稲葉元助と北海道開拓」シリーズを書いています。今回が最終回です。

最後に、元助による「札幌村移民開拓ノ顛末」をご紹介します(『新札幌市史』第7巻〈史料編 2〉)。

これは1877(明治10)年、移民履歴調として札幌郡下の全村が開拓使に出した報告書です。元助は札幌村副戸長という肩書で報告しています。

札幌村移民開拓ノ顛末

「札幌村に75戸が存在しており、土地は肥沃であるものの、水利が不便で水田には向かない」と述べています。大友堀(↑冒頭アイキャッチ参照)や伏籠川の水流では不十分だったのでしょうか。

たしかに札幌村は稲作地としては発展しませんでしたが、玉葱「札幌黄」の一大産地となり、大正~昭和のわが国の食卓を支える農業地帯となったことは、歴史が示すとおりです。

戦後、札幌の市域が拡大し、札幌村は札幌市東区となり、開発と宅地化が進みます。現在では、75戸が135,000世帯になり、地下鉄東豊線が縦横に走る街にまで変貌を遂げています。明治維新以来、わずか150年余の話ですが、元助ら開拓民の血と汗と涙の結晶が、その原点であったことは言うまでもありません。

さて、シリーズ最終回をまとめます。

一般的に、自己の4代前の歴史を詳しく知る人は少ないでしょう。知っているとしても、せいぜい祖父母の歴史まででしょうか。曾祖父母より上の話は、調べようとも思わないかもしれません。でも、現代は情報社会です。いろいろなところにヒントが転がっています。

ギリシャ語の‘ιστορία’が英語の‘history’になり、日本語で「歴史」と訳されますが、その原義は「探求して学んだこと、知ったこと」です。歴史は、一部の権力者や学者によって形作られるのではなく、個々人が主役として探求し、知識を積み上げ、作っていくものなのです。

自家史を辿ってみることで、新たな発見があり、不明瞭が明瞭になり、苦労話に共感し、笑い話に腹を抱え、臭い物に蓋をし(笑)、………。いずれにせよ、先祖あっての自分ということを強く意識するとともに、悠久の時の流れにおける自分の位置を確認できます。

今回、本シリーズを書くにあたり、多方面の文献や資料を調べてみましたが、開拓使の文書が複数残っていることに驚きました。貴重な史料を提供してくださった北海道立文書館に感謝申し上げます。

By 唯是 一寿

唯是家第8代。1972年、北海道生まれ。早大卒。団体役員、会社役員、国家公務員(非常勤)。東京都港区在住。“風街”で合理性と最適化を追求する、ミニマルな人生。本ブログでは、公共・公益活動、先祖探求・家系調査、短歌について発信。

2 thoughts on “【HISTORY】稲葉元助と北海道開拓 その7”

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